『負債伽藍 — 或いは、塔の胎内にて目覚める夢』
- 2025.05.03
- 月刊芳美
『負債伽藍 — 或いは、塔の胎内にて目覚める夢』
ある町のはずれ、地図には名ばかり残る区画に、塔が立っている。
五重。鉄骨とコンクリート、そして様式化された仏教意匠により装われた異形の建造物。
もとは「清大寺」と呼ばれていたらしい。だが人々の記憶には「塔の墓場」「石のバベル」として語り継がれるのみ。
塔は信仰の対象でありながら、建てられた動機のすべてが「納税回避と土地転がし」と言われた。
しかしそれでも、信者の手により鐘が撞かれ、観光客のレンズに収まり、
霊媒師とカメラマンと起業家と廃墟マニアとが交差する不可思議な聖地となっていった。
やがて、塔は負債に呑まれる。
地方自治体が担保として塔を差し押さえ、九度にわたり売却を試みるも、応札者ゼロ。
地元の噂では、塔の地下にはまだ“納骨堂にも還元されぬ不動の魂”が残されており、
真夜中に近づけばかつての開発業者たちの名刺が風に舞うという。
そしてついに、市はその存在を“見なかったこと”にする。
簿外の処理、帳簿の無言の輪廻。
債権放棄という美名の下に、「経済の幽霊」となった塔は、
ただ朽ちることを許された唯一の資本仏として時を刻み続ける。
人々は、そこに魅せられた。
塔は今や、“死んだ都市の心臓”である。
カビの匂い、剥がれ落ちた塗装、奇跡的に残る仏画の断片。
それらは、都市が夢見て破綻し、なお呼吸し続ける場所として
廃墟美の求道者を魅了する。
まるで、九龍城の亡霊が、現代日本の山間に転生したようだ。
修復されることなき美、朽ちゆく構造体の官能、
崩壊の中に宿る“負の空白”という名の聖域。
【塔の内側で語られる物語の断章】
ある青年が、負債寺の塔の胎内に潜った。
彼は経済学を学ぶ修士で、同時に宗教学にも傾倒していた。
塔の壁面に書き殴られた「般若心経」は、もはや経文ではなく、
デリバティブ市場の残骸に思えた。
「空即是色、色即是空、負債即是存在」
塔は経済の墓碑であり、信仰のシミュラークルであり、
構造的失敗に宿る詩だった。
塔を出た青年は、こう記した。
この伽藍は、資本の終末を予言した“夢の標本箱”である。
私たちは信仰を失ったのではない。
信仰を“会計処理”したのだ。
ゆえにここに、誰も買わない五重塔が立つ。
余白としての塔
廃墟は、世界の余白である。
そこには書かれざる詩が残され、
語られざる歴史が堆積する。
清大寺の塔は、信仰と資本の破綻が孕んだ奇跡的な副産物である。
九龍城が衛生法に反しながらも生命を育んだように、
この塔もまた、崩壊と矛盾のなかで人々の幻想を育て続ける。
もしこの場所を、いつか誰かが「聖地」と呼ぶ日が来るとすれば、
それは信仰の再起ではなく、倒壊の美学の勝利だろう。
※この物語はフィクションです。