yoshimi

有限会社 芳美商事

〒335-0023
埼玉県戸田市本町三丁目4番14号

『妙慧記 ― 鶴は還りて』

『妙慧記 ― 鶴は還りて』

序章:夢の垢

妙慧(みょうえ)は、鶴見の小さな寺に嫁いだ。
夫は善き住職であり、彼女は世間的に言えば“理想的な寺庭”。
三人の子を育て、町内の婦人会に顔を出し、檀家に茶を出し、笑顔を忘れぬ日々。

だが、夜になると時折――妙な夢を見るのだった。

夢のなかで、彼女は火を吐く禅僧だった。
町を歩き、俗物を怒鳴り、笑い、泣かせ、説法を放って人を諭す。
白い布に筆を走らせ、仏とすら口喧嘩をするような、激情とユーモアの塊。
夢の終わりにはいつも、風が吹き、「慧鶴」という名だけが残る。

第一章:垢に気づく

ある日、彼女は本山からの「写経ノルマ文書」を目にした。
美辞麗句と義務の束。美の皮をかぶった圧力。

「これは、修行じゃない。消費だわ。」

その瞬間、彼女の心の内で“慧鶴”が目を覚ました。
垢が剥がれるように、世間の理想像から一枚、また一枚と仮面が落ちていく。
仏像の裏に貼られた寄付金の金額表、葬式での接待の序列、
そのすべてが「空」ではなく「勘定」であった。

第二章:転ずる母性

家庭のなかにも、気づきが始まる。
長女は「お母さんはいつも“いい人”で疲れないの?」と問う。
長男は「坊主になるのはイヤ。お金のために説法する人になりたくない」と言う。

妙慧は笑った。
かつて白隠が「地獄の沙汰も愛嬌」と言ったように、彼女は子を育てる言葉の中に
禅の種子をまきはじめた。
彼女は母であると同時に、“問う者”になったのだ。

第三章:笑う仏、暴く仏

檀家の老婆たちが言う。「お寺はお上の言う通りに」「昔ながらが一番」
妙慧は問う。「“昔ながら”とは誰の都合の昔かしら?」

妙慧は、お寺の掲示板に詩を書きはじめた。
皮肉な詩。笑える句。だが、その奥には揺るがぬ慧眼と覚悟がある。

「本山より届いた金と紙
どちらが軽く、どちらが重い」
― 妙慧句碑より

終章:第二の慧鶴

ある春の日、妙慧は家族にこう告げる。

「私はもう、“寺の奥さん”ではいられない。
“仏の家”を、今一度まっさらにしてみたい。」

彼女は「妙慧堂」という小さな場所をつくる。
そこには、経典よりも子どもの絵が飾られ、
高僧の語録よりも、失恋した人の言葉が並ぶ。

人々は噂する。「あそこには、現代の白隠が住んでいるらしい」と。

そして妙慧は、笑う。
あの白隠慧鶴のように、目を細めて、少し斜めに――
この世を仏の遊戯と見抜いた者だけができる顔で。