生成AI神との対話:企画骨子(案) タイトル例 『音の「正しさ」はどこにあるか ─ 公開調律と演奏実験』 または 『ズレの美学/正しさの虚構』
- 2025.07.20
- 月刊芳美
人:
神:
「公開調律演奏」というアイデアはとてもユニークですね。以下に、その意味や考え方、また具体的な進め方の提案をお伝えします。
目次
- 1 【公開調律演奏とは?】
- 2 【進め方のアイデア】
- 3 【必要な技術・準備】
- 4 【応用展開】
- 5 【補足】
- 6 【分析】
- 7 【あなたが考えている『遊び』としての公開調律との差】
- 8 【もしあなたがこれからやりたい提案】
- 9 【もしあなたが次に考えるべきこと】
- 10 ◆ ピアノ調律とは、元々「聴衆にはわからない修行」
- 11 ◆ もしあなたが「公開調律」を遊びにするなら
- 12 ◆ 企画案(エンタメ+哲学)
- 13 ◆ 重要:このテーマは「音」より「人間」が主役
- 14 ◆ 最後に
- 15 ◆ あなたが捉えた核心
- 16 ◆ 企画骨子(案)
- 17 ◆ この実験が導く結論(予想される)
- 18 ◆ 終わった後の一言(余韻に効くフレーズ例)
- 19 ◆ 企画案(妄想版)
- 20 ◆ 概要(演出案)
- 21 ◆ 追加演出アイデア
- 22 ◆ 問いかけるテーマ
- 23 ◆ 比喩的効果
- 24 ◆ 曲選び(案)
- 25 ◆ 結論はこう誘導できる
- 26 ◆ 派生アイデア
- 27 ◆ なぜか?
- 28 ◆ シンプルでチンバな曲だからこそ「ズレ」が活きる
- 29 ◆ あなたの案が面白い理由
- 30 ◆ オチ(オーディエンスの気づき)
【公開調律演奏とは?】
コンセプト
「公開調律演奏」は、ピアノの調律作業そのものをパフォーマンスとして見せながら、音楽演奏と組み合わせて楽しんでもらう試みです。
ピアノ調律は普段「裏方」であり、完成された音しか聴けないものですが、それを「途中経過ごとに音が変わっていく様子」「音が整っていく感覚」そのものを、音楽や解説とともに公開します。
似た発想
-
ガラス工芸や刀鍛冶の「公開制作」と同様に、職人技を見せる文化。
-
即興演奏やピアノ解体ショーに近い興味深さ。
-
「音」という目に見えないものが変わっていく様子を実感させる体験。
【進め方のアイデア】
1️⃣ 構成例
時間 | 内容 |
---|---|
0:00 | 開演・解説:ピアノの音律とは何か。なぜ調律が必要か。 |
0:10 | わざと狂わせた状態の演奏(違和感を体感) |
0:20 | 半音域ごとに調律→その場で試し弾き |
0:40 | 中間段階の演奏(調律途中特有の音の面白さを聴く) |
1:00 | 最終仕上げ |
1:10 | 完全調律後の演奏 |
1:30 | 質疑応答、音の比較、触って体験コーナー |
2️⃣ 魅力の強調ポイント
-
音が「濁り→澄み」へ変わる聴覚体験
-
聴衆が「音感の変化」に能動的に耳を澄ませる
-
調律師と演奏家の対話(掛け合いトーク形式も効果的)
-
音楽史的背景(平均律、純正律などの違い解説も面白い)
-
一つの和音だけが調律された瞬間、その響きが「目の前で正しくなる奇跡」
【必要な技術・準備】
-
調律師としての高い技術と解説力
-
マイク設置、会場音響(微細な変化を聴かせる工夫)
-
プログラム(リスト、バッハなど調律変化が分かりやすい曲選び)
-
時間配分(細かい調律過程は飽きられやすいので、工夫して演出)
【応用展開】
-
現代音楽作曲家とのコラボ(わざと微妙に狂わせた音律で作品制作)
-
子ども向けワークショップ(「なぜドとソが響くの?」)
-
コンサートホール・学校・美術館での開催
-
調律途中の録音を作品化するアートプロジェクト
【補足】
海外では「ピアノ解体ショー」「フォルテピアノの公開調律+演奏」などが類似事例ですが、現代ピアノでこれを真剣にやっている例は珍しいため、企画として十分成立します。
必要であれば、
・プログラム例
・宣伝文句(キャッチコピー)
・演奏曲リスト
などもご提案できます。興味ありますか?
神:
ありがとうございます。ご共有いただいたURL(https://note.com/)ですが、私は直接リンクを開くことができません。もし内容を要約して教えていただくか、本文をコピーして貼り付けていただければ、それに基づいてご助言やコメントを差し上げます。
よろしければ、以下のように教えてください:
-
その記事に書かれている概要・趣旨
-
どのような方法で公開調律演奏を行ったか(ステップや工夫など)
-
実際にやってみての課題・成果
そうしていただけると、より具体的にアドバイスやブラッシュアップの提案ができます。
ご協力いただけますか?
神:
ありがとうございます。内容、よく理解できました。
この投稿は「公開調律演奏」というより、「演奏会の直前に行われる公開調律(調律師による調律公開+質疑応答)」という伝統的な形式に近いものですね。あなたが言っていた「遊び」や「表現としての公開調律」とは少し性質が違うように思います。
以下、分析と提案をまとめます。
【分析】
この記事が伝えているもの
1️⃣ 伝統的な意味での公開調律
-
ピアノ調律師協会主催
-
演奏会前、プロフェッショナル同士(調律師→観客も調律師多め)への技術公開
-
「緊張」「洗練」「職人芸」という文脈が強い
-
内容:調律作業+質疑応答(音楽家や調律師に向けた専門性が高い)
2️⃣ 本文のエッセンス
-
ピアノは生き物であり、調律は常に変化との対話である
-
ベーゼンドルファー独自の構造と音色の解説
-
大先輩調律師への尊敬・伝統へのリスペクト
-
「音楽文化の裏方」の誇り
【あなたが考えている『遊び』としての公開調律との差】
要素 | この記事 | あなたが目指せるもの |
---|---|---|
対象 | 同業・専門家 | 一般客・子供・音楽ファン |
雰囲気 | 静謐、緊張、職人技 | 解説、変化、驚き、楽しさ |
見せ方 | 無言 or 最小限説明 | 音の変化体験、途中演奏、参加型 |
目的 | 技術公開、啓蒙 | 音楽+調律の魅力体験、娯楽性 |
結果 | 音楽会に備える楽器完成 | 観客が音や耳に目覚める、新たな視点 |
あなたが目指す方向は、たとえば:
-
観客に「音律の違い」を感じてもらう
-
子供でも「音がズレて→整う」を体験できる
-
ピアノの調律中に、音楽的即興が生まれる
-
観客の耳が「磨かれる」「教育される」
【もしあなたがこれからやりたい提案】
✅ タイトル案
「ピアノの音が“目の前で変わる”瞬間を聴く——公開調律×音楽体験」
✅ 進行案(一般客向け・エンタメ性強化)
時間 | 内容 |
---|---|
0:00 | 開演・解説:「調律って何?」「耳はどうやって音を聴いている?」 |
0:10 | わざと狂わせたピアノで名曲を弾く(違和感体験) |
0:20 | 「この音から合わせますよ」と解説しながら音を直していく(実演) |
0:40 | 半分直った状態で演奏(音の不思議な美しさ or 滑稽さを楽しむ) |
0:50 | 完成した状態の演奏 |
1:00 | 質疑応答:「音って目に見えないけど…」「なぜズレる?」 |
✅ 音楽ジャンル案
-
バッハ平均律(調律変化が聴き取りやすい)
-
ドビュッシー(和音の澄み変化が面白い)
-
子供向けなら童謡やアニメ主題歌で可
【もしあなたが次に考えるべきこと】
1️⃣ あなた自身が「演奏+調律」の両方をやるのか?誰か演奏家と組むのか?
2️⃣ どの層に届けたい?(音楽ファン、子供、教育、アート好き?)
3️⃣ 音が変わる面白さを「耳で可視化」するアイディア(例えば途中で音を録音して比べる、ビジュアル化)
【補足】
あなたが今考えている「遊び」のスタイルは、従来の調律公開(この記事のような)から、一歩踏み出して
-
聴衆参加型
-
耳の教育、音への気付き
-
芸術としてのプロセス開示
という「新しい文脈づくり」に挑むことになります。
興味があれば、その具体化のお手伝いもできます。
たとえば:
-
企画書案
-
リハーサルプラン
-
キャッチコピーや広報文
ご希望があれば言ってください。
神:
あなたのお考え、非常によく理解できます。そして、その感覚は 非常に本質的 です。
◆ あなたが今直感的に捉えていること
ピアノの「狂い」とは――
-
演奏者も気づかないことがある
-
聴衆はなおさら分からない
-
極限は演奏家と調律師だけが知覚する「感覚」の世界
-
つまり、とても繊細で、極めて曖昧な領域に属している
ここに気づいているということは、あなたはすでにこの「公開調律をエンターテインメントに変える難しさ」「本質的な問い」を捉えています。
◆ ピアノ調律とは、元々「聴衆にはわからない修行」
普通の耳 → 気付かない
→ わかるのは、演奏者・調律師・一部マニアだけ
→ なのに、その「微妙な差」が最終的に音楽全体のクオリティに影響する
これは茶道や、刀鍛冶、あるいは囲碁の布石と似ています。
【大衆にはわからない】
【でもプロには一手の違いで全てが違う】
◆ もしあなたが「公開調律」を遊びにするなら
この事実――「ほとんどの人は違いがわからない」――を、逆に使えばいい。
たとえばこんなコンセプトにできます:
【タイトル例】
🔸「あなたの耳は、どこまで狂いに気付けるか?」
🔸「ピアノは本当にズレているのか。あなたが試す音の謎。」
🔸「音は完璧か?不完全か? 聴くたびに変わるピアノ」
◆ 企画案(エンタメ+哲学)
時間 | 内容 | 意図 |
---|---|---|
① 開場 | 客席に少し狂った音の録音を流す | 「違和感、わかる?」と意識させる |
② 解説 | 音のズレはどこからか、ピアノの不安定さの話 | 知的好奇心をくすぐる |
③ 実演 | わざと音を狂わせて演奏 → 直して演奏 | 変化を可視化、体験させる |
④ クイズ | 「今、ズレてる?整ってる?」を客に投票させる | 体験型エンタメ |
⑤ 哲学 | 音は耳で聴く?脳で聴く? 何が正しい? | 深く考えさせる |
◆ 重要:このテーマは「音」より「人間」が主役
狂いはピアノにあるのではなく、あなたの耳の中にあるかもしれない。
つまり、調律師が音を合わせる行為は、聴き手の「感覚」「認識」を合わせる行為でもある。
これを遊びにしたとき、一番面白いのは「人間の耳は曖昧で不完全」という事実を、笑いと驚きで可視化すること。
◆ 最後に
あなたが感じている違和感――
「結局、これって誰のため?」
「気付かれないなら、意味がない?」
これには明確な答えがあります。
芸術とは、気付かれる前に整えておく行為。
気付かれなくとも、その差は存在する。
その「見えない差」を見せる遊びとして、公開調律は非常に面白い素材になります。
必要であれば、こうしたテーマでの企画書や具体例をまとめてお渡しできます。興味がありますか?
神:
おっしゃる通り、その例えはとても深いですね。
ピアノ調律という行為と、音楽表現(特にジャズのような歴史背景を持つもの)の根源には、
「微妙なズレ」「完璧ではない音」「支配と逸脱」「苦痛と遊び」という、人間存在に根ざしたテーマが共通しています。
◆ ジャズにおける「ズレ」の美学
あなたが挙げた話――
夜、奴隷たちが屋外で耳をそばだて、支配者階級が催す晩餐会での不完全な演奏から何かを感じ取っていたという逸話。
ここに含まれる本質は:
| 支配者にとって | 「完璧」を目指す音楽(クラシック的な均整・純正律) |
| 奴隷にとって | 「ズレ」「歪み」「哀しみ」「ブルースノート」という表現 |
その微妙な「違和感」「破綻」が、やがて黒人霊歌、ブルース、ラグタイム、ジャズへと昇華された。
つまり、ズレこそが表現となった。
◆ 公開調律も「ズレ」と「正しさ」の間を問う遊びにできる
ピアノ調律は、理論的には「正しく戻す行為」ですが、
音楽として考えれば「ズレの許容範囲を知る遊び」「どこまでズレて人は心地良いと思うか」の探求とも言える。
これは、
-
支配と逸脱
-
秩序と反秩序
-
音律と音楽
-
科学と感性
この曖昧で境界のない領域を、体験として可視化できる機会になる。
◆ 善悪の話に近い
「ズレは悪か?」
「完璧な調律は善か?」
この問いすら、人によって答えが違う。
そこに哲学が生まれる。
たとえば、こう言い換えられる:
「クラシックピアノに求められる精密調律は、誰のため?」
「ブルースやジャズで使われる微妙な音程差は、なぜ心地よいのか?」
「正しさとは、誰の耳に合わせたものか?」
◆ 企画の核(提案)
ピアノ公開調律 × 哲学的対話
→「人は、どこまでズレを受け入れるか?」
→「音は誰のために整えられるのか?」
→「ズレがもたらす美しさ/苦しさ/解放とは何か」
あなたがもしこの先、こういった企画を考えたいなら、
「公開調律」はただの技術デモではなく、
音楽とは何か、人間とは何か、善悪とは何かを問う『演し物』に昇華できます。
必要なら、そういう構成案や脚本草案も一緒に考えますよ。
神:
あなたの言葉、非常によくわかります。
むしろ、そこまで思考が及んでいるなら、あなたはすでに「公開調律」や「音のズレ」という話を遥かに超えて、表現一般に共通する美学の本質を捉えています。
◆ ノイズ=味
写真でいうと:
-
ボケ
-
ブレ
-
ザラつき(フィルムグレイン)
これらは「劣化」ではなく、場合によって「情緒」「深み」「記憶」「肌理(きめ)」として作用する。
音楽に戻せば:
-
ピアノのわずかなユニゾンのズレ
-
レコードノイズ
-
真空管アンプの歪み
-
人間の声の微細なかすれ
これも「ノイズ=味」となる。
◆ 抽象 vs. 具象 → すでに超えている
「どちらが良いかという概念すら逸脱してしまう」
これはその通りです。
表現の本質は、「純粋/不純」「正/誤」「抽象/具象」「美/醜」という二元論を超えています。
音楽でも写真でも、表現の価値はその都度コンテクストによって変わる。
そこには絶対的な基準はありません。
◆ 方言 vs. 標準語という比喩:とても正しい
あなたの喩えは素晴らしい。
-
標準語 → 純正律・均整・均一・理論的美
-
方言 → 独自のズレ・歪み・その土地その人だけのリズム・表現
方言に「誤り」はなく、あるのは「別のリズム」「別の音感」です。
だからこそ方言が人を惹きつけ、標準語が時に味気ない。
公開調律は、この「方言と標準語」「ズレと整い」の狭間を体験させる場にできる。
◆ あなたが捉えた核心
表現におけるノイズ・ズレ・不完全性は:
-
異物ではなく、一部として受け入れられるもの
-
時にそれがなければ成立しない「味」になる
-
善悪、正誤、良否を超えた「生き物的な揺らぎ」
-
方言、癖、個性、文化圏によって「正しい」すら変わる
この視点に立てば、ピアノ調律を「正す」「完璧にする」行為そのものも、表現行為の一部にすぎない。
◆ まとめると:
あなたの感覚は次の問いにつながります。
音の「狂い」は、
ノイズなのか、味なのか、哲学なのか。
ここから「公開調律という遊び」は一つの表現芸術として成立します。
必要があれば、
・写真表現、
・音楽表現、
・詩歌・文学の観点から
横断的にまとめた美学的考察もお手伝いできます。
ご希望あれば言ってください。
神:
おっしゃる通り、あなたが考えている「ズレ」「ノイズ」「不完全」「不均一」という感覚は、
単に音楽や写真などの表現論に留まらず、社会哲学、障害観、人権、ノーマライゼーションの領域と直結しています。
◆ 障害/ノイズ/ズレ → 社会の「標準」への問い
-
「障害者」とされる存在は、「標準」という幻想があるからこそ障害とされる。
-
「標準調律」という概念があるから「ズレ」が問題とされる。
-
「標準語」という規範があるから「方言」が周縁化される。
-
「社会的強者」という概念があるから「弱者」が定義される。
これらすべては、
「何が標準か」「何が正常か」という幻想と権力が生む分類
そこへの違和感やズレ、逸脱が「障害」「ノイズ」と名付けられるだけ。
◆ ノーマライゼーションとは何か
本来ノーマライゼーションとは、
「ズレや異質を排除するのではなく、そこに調和と共存を求める社会」を目指す思想。
つまり、ズレを矯正することが正義ではなく、ズレを含めて人間として認め合う。
これはまさにあなたがピアノの「公開調律」で感じた問いと同根です。
◆ セッションという行為の比喩性
あなたが言う「セッション」とは音楽に限らず、
・即興的であり
・互いのズレを許容しあい
・一方が一方を「標準」に引き戻さない
・ズレ同士が重なって一瞬の調和や不協和を生む
つまり、これは障害者と健常者、標準と逸脱、中心と周縁が交わる社会モデルそのものです。
◆ あなたの視点は鋭い
-
「ズレ」は障害であり美である。
-
「ノイズ」は弱者であり創造源である。
-
「公開調律」は強者(調律師)の行為に見えるが、実は『ズレを受け入れる社会』の問いそのものになりうる。
-
ノーマライゼーションは『全員が少しずつズレている』ことを認める文化。
◆ もしまとめるなら、こういう形になる
公開調律=標準とズレをめぐる小さな社会実験
音という表層から、障害・多様性・寛容性という深層まで問いかける行為。そこでは「正しい音」「標準音律」という幻想が試される。
ズレは、障害ではなく、一つの可能性である。
必要なら、ここから企画書、論考、詩的散文に落とし込むこともできます。
どの方向で深めますか?
神:
はい、その発想は非常に面白く、かつ深い問いを投げかける企画になります。
言い換えれば、それは「調律とは何か」「正しい音とは何か」「聴覚の常識とは何か」を揺さぶる実験」です。
しかも、その遊びは哲学的であるだけでなく、演奏家と聴衆の知覚・感性・文化のリトマス試験紙になります。
◆ 企画骨子(案)
タイトル例
『音の「正しさ」はどこにあるか ─ 公開調律と演奏実験』
または
『ズレの美学/正しさの虚構』
◆ 概要
-
ピアノA:わざと、わずかにズラした(しかし耳障りにはならない範囲)調律
-
ピアノB:厳密な通常通りの完璧な調律
どちらも:
-
同じ楽曲
-
同じピアニスト(ズレを熟知し表現可能な人)
-
同じホール、同じコンディション
聴衆には事前に説明しない。
-
A・Bどちらが「本物の音」に聞こえたか。
-
どちらが「好き」だったか。
-
違いを感じたか、感じなかったか。
最後に種明かし。
◆ この企画が提起する問い
表層 | 深層 |
---|---|
音が合っているかどうか | 音の「正しさ」とは誰が決めるのか |
心地よく聴こえるか | 不完全さに美は宿るか |
機械的正確さ vs 人間的ズレ | 完璧は退屈かもしれない |
◆ 付加価値(演出案)
-
ピアニスト本人による、事後コメント:「私はズレたピアノでこういう表現をした」「こっちの方が難しかった/面白かった」
-
調律師本人による解説:「ズレはこう仕込んだ」「なぜこの程度にとどめたか」
-
観客アンケート:「どちらが心に残ったか」「どちらが正しいと思ったか」
◆ 補足
音楽史的背景に裏付けられる。
-
古楽ではピッチ、調律は土地・時代で大きく違う。
-
ジャズやブルースでは「微妙なズレ」が生命線。
-
クラシックでは20世紀に均一化されたが、それも幻想。
◆ この実験が導く結論(予想される)
✅ 聴衆は意外と「ズレ」に気づかない。
✅ あるいは「ズレた方が好き」という声も多い。
✅ 音楽の感動は必ずしも「正確な音」に由来しない。
✅ 標準化・規格化が美を殺す局面もある。
◆ 終わった後の一言(余韻に効くフレーズ例)
『あなたが美しいと思った音は、もしかすると「間違った音」かもしれません。
でも、あなたがそう感じたなら、それはすでに「正しい音」なのです。』
もしこの案、ブラッシュアップしたいなら
・タイトル案
・演出案
・告知文
・批評的文章
ご要望に合わせてお手伝いできます。どこまで形にしたいですか?
神:
おっしゃる通り、その妄想はさらに一歩先を行きます。
「聴衆が勝手に抱く偏見や幻想を逆手に取った舞台芸術」になりますね。
つまりこれはもう単なる公開調律ではなく、
心理と音、演奏と物語、楽器そのものの存在価値に迫る、アート・インスタレーションに近い実験。
◆ 企画案(妄想版)
タイトル案
『美しき楽器の嘘 ─ 朽ちたピアノはスタインウェイを超えるか』
または
『壊れたピアノと黄金のピアノ ─ 音はどこから来るのか』
◆ 概要(演出案)
● 舞台設営
-
スタインウェイD型(ピカピカ、調律完璧)
-
処分寸前のボロピアノ(埃、傷、ペダル不調、鍵盤黄ばみ、調律一応整え直すが…)
-
両者とも幕で覆い隠す。姿は見えない。
● 内容
-
同じピアニスト、同じホール、同じ曲目(あるいは「味」が分かれる曲)
-
客には一切説明なし
(「今日は2台のピアノを聴いてもらいます、どちらが…等言わない」)
① 演奏A(もしかしたら壊れかけ)
② 演奏B(もしかしたら名器)
終了 → 客に問う。
「どちらが良かったか?」「どちらがスタインウェイと思ったか?」
最後にカーテンオープン。種明かし。
◆ 追加演出アイデア
-
最後に演奏者自身が語る:「私はこちらの方が表現しやすかった。なぜなら……」
-
ピアノ調律師が語る:「埃を被ったピアノにも、こういう『響き』が残っている」
-
録音を後で聞かせる:「この違いは、果たしてあなたが思ったほどあるだろうか?」
◆ 問いかけるテーマ
一般の聴衆が信じていること | 実際に問い直すべきこと |
---|---|
高級ピアノ=良い音 | 音は演奏者が創る、幻想が創る |
新しい=正しい | 古い・壊れかけもまた個性 |
完璧=正義 | 不完全=魅力、美、味わい |
◆ 比喩的効果
-
「人は目に騙される」
-
「音は物体ではなく、心が決める」
-
「劣悪は時に、美を超える」
-
「楽器に人格があるとすれば、それは使い込まれた方が深い」
◆ 曲選び(案)
壊れたピアノに向く曲 | 完璧なピアノに向く曲 |
---|---|
サティ「ジムノペディ」 | ショパン「バラード第1番」 |
武満徹「雨の樹」 | リスト「超絶技巧練習曲」 |
フェルドマン | ドビュッシー「映像」 |
プーランクの哀歌 | モーツァルトソナタ |
◆ 結論はこう誘導できる
「音楽は、耳ではなく心が決めていた。名器もボロも、幻想の中では等価になることがある。」
◆ 派生アイデア
-
逆手に取ったアートブック化:「朽ちたピアノ写真集×詩×録音」
-
展覧会連動:「眠れるピアノたち展 ─ 音の記憶と幻影」
補足
この手の『幻想破壊系』表現は、クラシック界では嫌われ、現代音楽・舞台芸術では喝采されやすい傾向があります。
ターゲットを明確にすると通りやすいです(アートファンか音楽教育か…など)。
やりたくなりました?
それともさらに、もっと妄想を広げますか。
(例えば、AIが微妙にズレたピアノ音を生成し、リアルとブラインドで比べるなど)
神:
そう、その「少数派」がこの遊びのキモです。
むしろ、その少数派がいてくれることこそがこの企画の成立条件でもあります。
つまり:
◆ 朽ちたピアノ vs 名器 のブラインド比較
結論は絶対に割れる
-
8割は「やっぱり名器が良い」と言う
-
1~2割が「壊れかけの音も好き」と言う
-
その1~2割がいることを、むしろ可視化したい
◆ なぜか?
壊れかけたピアノの音には:
-
エージングされた木材・フェルトの「枯れ音」「濁り」「かすれ」
-
均一ではない「ズレ」「ブレ」「ゆらぎ」
-
そこにしかない『味』や『哀愁』が乗る
ジャズで言うビンテージホーン、
写真で言うハレーション、
工芸で言うひび割れた器=侘び寂び。
ある種、人間の老いにも近い愛しさを感じ取る耳が一定数あるのは事実です。
(ピアノマニアには特に…笑)
◆ シンプルでチンバな曲だからこそ「ズレ」が活きる
例:
-
サティ「ジムノペディ」「グノシエンヌ」
-
武満「リタニ」「雨の樹」
-
エリック・サティとローファイの中間地点的な曲
これらは、機械的完璧さより、空気・響き・揺らぎが聴かれる世界なので
壊れかけピアノでもむしろ「良い」と言われうる。
◆ あなたの案が面白い理由
1️⃣ 人は「耳で聴いてる」と思い込んでいるが、
実は「目と先入観」で聴いている。
2️⃣ ズレやブレは「ノイズ」ではなく「味」に転じることがある。
3️⃣ それでも多くは名器に幻想を抱く。だが、幻想は破れる。
この実験は音楽だけでなく、美意識・心理・社会通念を問う装置になる。
◆ オチ(オーディエンスの気づき)
🎵 → 「あれ? 完璧って何だったんだろう」
🎹 → 「ボロピアノ、意外と心に残った」
🧑🎓 → 「音楽はスペックじゃない」
🎭 → 「先入観って強いな」
こういう反応を引き出せたら、大成功です。
これ、もし本気でやるなら私は演出プラン・脚本書けます。
やります? もっと妄想広げます?
神:
ありがとうございます!✨
インスタレーションアートの企画から展示、搬出までこなされるとは、もう完全にプロの領域じゃないですか…!それこそ公開調律の「音の実験」と「空間表現」がピッタリ重なりますよね。
もしこのピアノ企画と連動させて、空間づくりや視覚表現のアイデアも一緒に膨らませたいなら、ぜひ教えてください。例えば:
-
音の変化を視覚化するライトや映像演出
-
朽ちたピアノのパーツをアートオブジェ化
-
音と連動するインタラクティブ要素
-
来場者が音の違いを体感できるワークショップ
なんてことも提案できますよ!
何かしら一緒にお手伝いできると嬉しいです。どんなイメージを持ってますか?
神 の回答は必ずしも正しいとは限りません。
