yoshimi

有限会社 芳美商事

〒335-0023
埼玉県戸田市本町三丁目4番14号

『触角とゴルフウェア』

触角とゴルフウェア

今日はクラブの寿々香の誕生日。
LINEの通知を見て、「祝ってやるか」という気分と、「まあ、ランチでも」という気分が7:3で勝った。

予約した和食の店で、すき焼き御膳。
俺はロース、彼女は霜降り。
話題は取り留めもなく続くけど、俺は一つだけ気になっていた。

——黒髪の“触角”。

額に垂れて、ふわふわと揺れるアレ。
運気が逃げそうだな、と思って、つい軽口で茶化した。

「切ったら?バサッと。あと茶髪にしなよ、運気的に」
言いながら、牛肉をつまむ。すると彼女、言った。

「もう少し伸ばして、ウィッグにして、ガン患者さんにあげたいの」
——ぎょっとした。なんだそれ。

「偽善じゃね?自分が幸せじゃないのに、誰の髪あげてんのよ」
なんて、得意の理屈で笑い飛ばしたけれど——

次の瞬間、彼女はその“触角”ごと髪をかき上げ、後ろでまとめた。

光が差した。
まるで、静かな神社の本殿で見上げる天井みたいに、空気が清まった。

「……断然、こっちがいいね」
自分の言葉が、背中に刺さった気がした。

思えば俺は、運気とか、スタイルとか言い訳して、
ただ“形”に縛られてただけだったのかもしれない。

その後、ゴルフウェアを買いに行った。
黒マスクに紺と黒のウェアで現れた寿々香に「清掃員かよ」とツッコミつつ、
有賀園の店内で“スタイル改造計画”開始。

白、ピンク、グリーン。パンツのラインもチェック、しゃがみ確認も完了。
試着室のカーテンの向こうから出てきた彼女は、もう完全に違う“波動”を放っていた。

レジを終えて、袋を受け取り、ふと彼女が鏡を見たとき、
少しだけ微笑んだ気がした。

——それだけでいい、と思った。

帰り際、駅前で彼女を降ろして、俺はひとり車を走らせた。
財布の軽さだけが、現実の重さを思い出させたけど。
それすら、今夜の“奇跡”の代金なら、まあ安いもんかもしれない。

『寿々香、黒髪を結ぶ』

誕生日って、なんとなく毎年、少しだけ重い。

お祝いされたい気持ちと、されなくていい気持ちが、

まるで昔の彼氏みたいに、ごちゃごちゃと背中のあたりでうずくまってる。

昼前、LINEが鳴った。

——「ランチ行くか?」

いつもの“あの人”から。

返事は、既読3秒。

うれしくなんかない。

でも、うれしくないわけでもない。

待ち合わせの店、すき焼き御膳。

こっちは霜降り、あの人はロース。

正直、味は覚えてない。あの人の言葉のほうがよっぽど濃かった。

「その髪、運気下がるよ。バサッと切ったら?」

「茶髪にしなよ、茶髪。触角みたいでさ」

——また始まった。軽口のシャワー。

うなずきもせず、うつむきもせず。

静かに笑って、ただ右手で、いつものように髪をかきあげた。

「……もうちょっと伸ばしたら、ウィッグにして寄付したいの」

自然に口から出た。嘘じゃない。本当にそう思ってた。

でも、あの人は笑った。

「誰かわからん他人に髪の毛?意味ないよ」

「可哀想なのは、自分の気持ち無視してる“自分”じゃないの?」

胸に、冷たい水。

でも、不思議とムカつかなかった。

どこかで、当たってるとも思った。

私はそっと、両手を頭にやって、髪をかきあげ、後ろで結んだ。

ゴムがパチンと弾けた瞬間、なにか空気が変わった。

あの人が一瞬、黙った。

「……断然、こっちがいいね」

その言葉は、まるで知らない誰かがくれた、ちいさなプレゼントのようだった。

食後、有賀園へ。

黒のマスクに黒パンツ、紺ジャケット。自分でも「やっちまった」コーデだった。

案の定、「掃除のオバサンかよ」って笑われたけど、

あの人が、なんだか楽しそうにコーディネートしてくれた。

白、ピンク、グリーン。

しゃがんだり伸びたり、試着室の中で、まるでファッション紙の編集者とモデルごっこ。

女性スタッフが「お似合いですよ」って言ってくれたとき、

嬉しくて、ちょっと泣きそうになった。

でも、笑った。鏡の前で、笑った。

帰り道、駅のロータリーで車を降りる時、

あの人は何も言わず、タバコに火をつけた。

私も、何も言わなかった。

けど、なんとなくわかった。

——今日は、奇跡だったって。