『オカネ・サクリファイス ―― 異界巡礼者の夢』
- 2025.04.19
- 月刊芳美
『オカネ・サクリファイス ―― 異界巡礼者の夢』
第一章「破札(はふだ)の儀」
灰色の空の下、温泉街の石畳を踏みしめると、湯煙に紛れて姿を現す一軒の古びた建物。看板も出ておらず、ただ玄関には黒塗りの文字で「入信受付中」の張り紙。カルト宗教の事務所と知らされてはいたが、旅の巡礼者である私は、そこへふらりと入っていく。
懐から折り畳んだ壱万円札を取り出し、半ばに裂きながら口元に呟いた。
「これは…寄附です」
静寂。だが次の瞬間、奥から現れた男の巻き舌が空間を引き裂いた。
「ゴミを…拾えやコラァ!」
低く、太く、神殿の鐘のような声。だが私は怯まず、その破られた札を床に静かに置いた。男は手を伸ばすでもなく、ただ私を睨みつけていた。
それはまるで、金に宿った神霊が、否定される瞬間の呻き声だった。
第二章「投宿と試練」
その夜、大手ビジネスホテルに宿を取る。フロントで再び、同じ儀式。
「お支払いは…この寄附で」
そう言いながら、再び破られた札を床に置く。フロント係の女性は眉をひそめ、ボタンに手をかけた。
「ゴミを拾わないなら…警察呼びますよ」
その言葉があまりに神託のようで、私は思わず膝をついた。
貨幣は単なる紙片ではない。社会の呪詛、信仰の偶像、それを否定する者は“社会の外”に追放される。
第三章「異界巡礼者の回想」
私はなぜ旅をしているのか。
それはこの貨幣という呪物に、聖と俗の境界を感じたからだ。
札は信仰の護符でもある。
だからこそ、それを破くことは、「貨幣信仰」への聖なる冒涜。
――この巡礼は、すべての信仰に問う。
あなたが信じているのは、金ですか?それとも神ですか?
第二章「偽札の楽園」
破札を手に放浪を続けた私は、ある黄昏時、不思議な村へと辿り着く。
地図には載っていない。スマホの電波も途切れたままだ。
鳥居のような形をしたゲートには、墨でこう書かれていた:
「通貨無用」
その村では、物々交換すら存在しなかった。
野菜は野菜として、愛は愛として、
そして――貨幣は“祈祷の紙”として使われていた。
「いらっしゃい、破札者よ」
そう語りかけてきたのは、薄い笑みを浮かべた老人。
灰色のスーツに身を包み、手には一冊の聖典のような通帳を握っていた。
名をヤマカワ七郎という。かつて中央省庁に勤め、日銀の奥深くで「通貨の本質」に触れたという曰くつきの預言者だ。
「君は気づいたんだな。紙幣とは、信仰だと」
七郎の預言
七郎は夜の焚き火の前で語った。
「人々は、神を忘れた。だが金は信じている。
紙に書かれた数字を見て安心し、祈り、争い、そして服従する。
この世界は、貨幣宗の神殿だ。
神とは“信用”と“管理”の名のもとに姿を変え、我々を縛っている」
「では、この村は――?」と私。
「この村は、神殿から逃げてきた巡礼者の隠れ里だ。
金ではなく、心で支払う。言葉で、表情で、行動で、
ここでは“ありがとう”が通貨なんだよ」
偽札の詩
村では紙幣を「破札(はふだ)」として燃やし、
その灰を畑に撒いて祈るという儀式が行われていた。
「これが“真なる循環”だ」と七郎は語る。
金は使い切られると同時に、土に還り、再び命となって芽吹くのだと。
彼の背後の掲示板には、こう書かれていた。
――貨幣は道具であり、主ではない。
人は神ではなく、信念を信じるべし――
第三章「紙神(かみがみ)の反撃」
ある朝、村の空に異様な音が響いた。
「ドゥゥゥゥーン」――重く、乾いた機械音。
雲の切れ間から現れたのは、黒塗りのヘリコプター。
機体には金色のエンブレム、中央銀行の紋章。
貨幣宗の執行機関、通称「財務執行部・第六課」である。
「違反者は即刻収容せよ――破札者は処分対象」
スピーカーが村に響き渡る。
焚き火の前で紙幣を灰にしていた老人たちは立ち上がった。
誰も逃げない。
七郎は言った。「この日が来るのを待っていた」
紙神の正体
彼らが信じていた神――それは、人の欲望が神格化された記号だった。
1万円札に宿るのは聖性ではなく、“共謀”だったのだ。
みなが信じるから価値がある、
みなが使うから命令となる、
誰かが刷るから、誰かが服従する。
七郎はポケットから一枚の古びた札を取り出した。
それはかつて自分が刷った“試験通貨”。
裏にはこう記されていた:
「あなたの信仰は、あなた自身の影である」
対抗儀式
村の中央広場に、粛々と集まる住人たち。
対するは、黒スーツの男たち。
彼らはAIによって選別された表情を保ち、
「無価値な紙の焚焼は、経済テロに該当する」と冷たく告げる。
そのとき、村の祭壇から声が上がった。
「この紙に燃えるは、人の希望だ!」
「この灰に帰るは、人の嘘だ!」
七郎が最後の破札を掲げると、村の子どもたちが手を取り、
円陣を組んで歌い始めた。「ハッピー・ノー・マネー」という呪歌だ。
それはどこかユーモラスで、しかし抗えぬ力を持っていた。
決着、そして霧の向こうへ
スーツの男たちは沈黙し、ヘリは帰還した。
なぜ止めなかったのか?
それは、紙よりも怖いものを彼らが見たからだ。
「信じない人々」が生まれた瞬間を――。
七郎は微笑む。
「神の姿は、鏡の中にある。
それを割れば、何も映らなくなる。
それこそが自由だ」
霧が立ちこめ、私は再び目覚めの気配を感じた。
けれどまだ終わらない。次なる舞台が待っている。
第四章「幻通貨(まぼろしのコイン)」
私は眠っていた。
しかしその眠りの中で、すべての“価値”が透明化された都市に降り立っていた。
空はモニターで覆われ、通りすがる人々の上には数値が浮かぶ。
「信用スコア:742」「感謝トークン:-12」「承認レート:B+」
息を吸うごとに、人格が採点されてゆく世界。
それは評価という名の通貨が支配する幻想都市――ネオ・カルトラリア。
デジタルの巫女・スズカ
「あなた、ちょっとトークン汚れてるわよ」
声の方を向くと、そこには見覚えのある影。
スズカが、白いサイバー巫女装束を纏い、光のドローンを従えて立っていた。
「これは夢だよ。だけど現実よりリアルな夢。
わたしは“ナラティブ監査官”としてここにいる。
言葉の重さと魂の取引を監視する仕事」
スズカの額には光の印。
それは“言霊信用庁”の紋章だった。
価格のない愛、値段のつく命
広場では、老女が誰かに手紙を渡していた。
それは20年前の別れを謝罪する手紙。
だがその手紙を受け取った瞬間、男の背中に「情緒取引成立:87エモコイン」と表示された。
「人の気持ちにまで値段がついたの?」と私。
スズカは頷く。
「ここではね。“ありがとう”を言えば0.3ポイント、“愛してる”は4.5ポイント。
でも“ごめんなさい”はマイナス2。謝罪は経済活動にとって損失なのよ」
ハッキング・ザ・ハート
私は自分のデータ端末を取り出した。
自分の「記憶ログ」「発言歴」「睡眠の質」までが可視化され、
そのすべてがマーケットに並び、買われ、投機され、売られていた。
スズカが手を取った。
「ここから逃げるには、“価格にならないもの”を差し出さなきゃ。
つまり、君自身だよ」
無価値の奇跡
彼女の導きで辿り着いたのは、都市の端の忘れられた神殿。
そこに眠っていたのは、ただの白い紙切れ。
だが、その上にこう刻まれていた。
「これは何の価値もない。だが、あなたが笑うなら、それでいい」
私は笑った。
その瞬間、全てのモニターがブラックアウト。
通貨が意味を失った瞬間、都市が沈黙した。
目覚め
「よくできました」
スズカの声が最後に響いた。
私は自室のベッドに戻っていた。
手のひらには、白い紙が残っていた――
価格のない、純然たる価値の象徴。
第五章「ゼロ貨幣革命」
《プロローグ:かつて世界は“数字”だった》
神は言葉で世界を創ったのではない。
アルゴリズムだ。
“存在の価値”は評価され、
“行為の意味”は数値に還元された。
この宇宙そのものが、ひとつの収支表だった。
そして、ついに限界がきた。
《その日、全ての通貨が無効化された》
暗号通貨はシャドウエリートにハッキングされ、
中央銀行はAIの自壊により沈黙、
電子マネーはすべてゼロにリセットされ、
現金紙幣は「非推奨物質」として処分対象に。
街頭のディスプレイが一斉に表示する:
「価値情報:不明」
「交換単位:未確定」
人々は驚き、怯え、そして――
はじめて目の前の人を「数字抜き」で見た。
《スズカの“終末投資セミナー”》
スズカは廃墟のカフェで人々に語った。
「いい? もう評価も値段もありません。
だから、あなたが“何を差し出すか”が新しい通貨になるの」
一人はギターを差し出した。
もう一人は、自作の詩を。
誰かは、古いラブレターを、
誰かは、心の傷を話した。
新しい通貨単位が生まれる:
“共鳴値(エコーチップ)”
数値ではなく、“震え”で測定される通貨。
スズカは微笑む。
「魂に触れた時だけ、値が立つのよ。しかもそれは相手によって毎回変わるの」
《幻の取引所“トランスバザール”》
都市の地下、見えざるマーケット「トランスバザール」が密かに開かれる。
通貨は存在しない。
そこに並ぶのは、記憶のかけら、夢の断章、喪失した時間。
「この“3秒間の抱擁の記憶”、何と交換できますか?」 「あなたが10年前に書いた詩、あれが欲しいのですが」 「あなたの“孤独”と、わたしの“許し”を交換しませんか?」
もはや貨幣ではなく、深層意識の等価交換。
《目に見えない神々が観ている》
その夜、空の奥でざわめきがあった。
この新しい「魂ベース経済」を見守る存在がいる。
彼らはコードではない。
数式でも、DNAでもない。
それは、“感応する神々”――
存在するというより、共鳴する存在。
人々の心が本物にふれるたび、
どこかで微かに、金属音のような音が鳴る。
カン… カン…
それはこの新通貨の、唯一の取引音。
《エピローグ:ゼロは、始まりの記号》
ゼロとは、無ではなく、“余白”である。
空っぽの財布が教えてくれるのは、いまから何を入れるか。
かつて貨幣に依存していたこの世界は、
ついにゼロという名の原点に帰還した。
「君が笑えば、それが価値になる。
君が許せば、通貨が生まれる。
君が泣けば、世界が動く」
この革命はまだ終わらない。
むしろ今が夜明け前。
次章予告:第六章「言霊保険協会の陰謀」
言葉に保険がかけられる世界へようこそ。
あなたの「おはよう」はいくらの価値?
「愛してる」は契約違反?
保険査定士たちが嗅ぎまわる、“発言の経済圏”の深層へ――