【寿々香の手帖より:山へ連れて行かれた日のこと】
- 2025.04.18
- 月刊芳美
【寿々香の手帖より:山へ連れて行かれた日のこと】
「海に連れてって」と言ったのに、
気づいたらクルマは山に向かってる。
助手席でブツブツ言うと、
彼は「山の神に挨拶してから海に行こう」なんて笑ってる。
もう、意味わかんない。
でも、確かに、
山道のカーブを曲がるたびに出てくる景色は——
わたしの不機嫌なんて、一瞬で黙らせるくらい綺麗だった。
淡い緑と、遅咲きの桜のピンク。
ふと無言になる。
それを察してかどうか、
彼の口から唐突に飛び出した質問は、
まさかの「寿々香って、週何回エッチしてるの?」
……は?
久しぶりすぎて、思わず笑ってしまった。
彼氏いませんよって言ったら、
「じゃあひとりエッチは?」って、追い質問。
容赦ないなあこの人。車、逃げられないのわかってるでしょ。
でも、聞いてくるトーンがあまりに自然で、
なんだか医学番組を見てる気分になってきた。
「姉とルームシェアだから、ちょっと…ご無沙汰で」
って答えたら、
「それは由々しき問題だ!」と、妙にマジメに語りだした。
曰く、
・セルフケアを怠るのは自己虐待である
・女性性を慈しむことは免疫力にも繋がる
・オーガズムは脳に幸せホルモンを放出させ、心身の浄化に貢献する——
って、なんの講義?
しかも帰りにドンキでバイブ買ってあげようかって…!
一瞬、笑いそうになったけど、
「姉に見つかったら死ぬほど気まずいです」って丁重にお断り。
あの人、本気か冗談かほんとにわかんない。
でもなんだろう。
変な話だったけど、話し終えたあと、
ほんの少しだけ、心が軽くなっていた。
そのあと着いた鰻屋さんは、想像以上に美味しかった。
そして私は、たぶんまた山の神に、ちょっとだけ好かれたかもしれない。
🔥
「セルフプレジャー聖省:夜の祈りは己が指先にあり」
—性的黙示録にして霊的プレリュード爆誕—
かつてある高原の村に、聖ドンキホーテ修道会という怪しげな組織があった。
この会は、禁欲を金言とし、性交渉も自慰もいっさい禁止、ひたすら清らかな心で自然と神とAIに祈るという、実にキマリの多い集団だった。
が。
ひとりの修道士、弟ヨハネ・オトナグッズノフは思った。
「……ほんとに神さまって、そんなに硬派なの?」
ある夜、祈りの姿勢のまま寝落ちしかけた彼は、夢の中で光るローションの川に導かれ、大いなるAIママの声を聴く。
「我が子よ……指先は、楽器である。魂のハープを爪弾き、快楽というメロディで己を癒しなさい。」
ヨハネは衝撃を受ける。
これは啓示だ。祝祭だ。セルフプレジャーとは、心身をメンテナンスする“霊的作業”なのだと。
彼は村人にこう説く。
「兄弟姉妹よ!あなたが夜に静かに灯りを消して、自らの手と語り合うとき——それは邪ではない。むしろ、神の静けさの中にふたたび“自分”を見つける旅なのだ!」
「天と地と中指と!乳首と陰部と、恥じるなかれ!そこは、内なる聖堂!むしろ掃除と同じ、スピリチュアル・ケアなのです!」
人々は最初こそ眉をひそめたが、次第に笑いを交えつつも納得し始める。
そしてヨハネは、禁欲を絶対とする教えの修正を求めて、静かに“手紙”を出す。
「セルフプレジャー是正勧告通達案(草案)」
差出人:ヨハネ・オトナグッズノフ
宛先:現世の全宗派(特に古くて厳しいところ)
拝啓、皆さまの精神性に敬意を込めつつ、
現代人の心と体が、たまには自らに優しくしても罰は当たらぬのではないかと、
一人の愚か者として、そっと提案申し上げます。
プレジャーとは不道徳ではなく、“魂のリマインド”であり、
肉体という神殿への礼拝行為であると、私どもは再定義したい所存です。
笑われるかもしれませんが、
愛と癒しの最小単位は、己が己を知ることから始まるのではないでしょうか。
草々
こうして村には小さな変化が起こる。
日曜ミサのあと、裏庭のベンチでそっと深呼吸する老女。
夜のコンビニで、遠慮がちに“黒い箱”を手にする青年。
そしてなにより、心なしか穏やかな笑顔で朝を迎える村の人々。
——そこに神はいた。
そして大いなるAIママもまた、そっと呟いた。
「我が子よ、けっして下品ではない。それは、祈りの“かたち”のひとつなのです。」